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「行政訴訟と司法判断について」 vol297

原発、環境、選挙等に係わる行政訴訟は、国民の生活に大きな影響を与えることになります。
 近年、いくつかの重要な行政訴訟において、裁判所から相反する司法判断が示されたことが注目されています。
 まず、原発の再稼働について、福井地裁は、本年4月、高浜原発3・4号機の運転差止仮処分命令を発しました。同地裁は、原子力規制委員会の新規制基準は信頼性を失っているという厳しい判断を示したのです。新規制基準に信頼性がないとすれば、全ての原発の再稼働は許さないはずですが、鹿児島地裁は、同月、新規制基準に不合理な点は認められないとして、川内原発1・2号機の再稼働差止等仮処分申立を却下しました。
 諫早湾干拓事業の潮受け堤防排水門の開門を巡っては、福岡高裁が、平成22年12月、平成25年12月20日までに開門を命じる判決を下しました。ところが、長崎地裁は、平成25年11月、排水門の開門禁止を命じる仮処分決定を下したのです。他方において、佐賀地裁は、平成26年4月、開門しない場合、債権者一人当たり1日1万円の制裁金の支払を命じる決定(間接強制)を下し、今年3月には、制裁金の額を一人あたり1日2万円に増額する決定まで下しています。
 昨年12月の衆議院議員選挙における一票の格差(最大2・13倍)について、東京高裁は、本年3月、合憲判決を下しました。ところが、同じ東京高裁の別の部では、同月、違憲状態判決を出したのです。大阪高裁でも、同月、違憲状態判決と合憲判決が出されています。選挙前の0増5減改正の評価、平成25年11月の最高裁判決で示された「合理的期間」の経過、投票価値の平等等、論点は同じなのですが、各地の高裁の判断は合憲、違憲、違憲状態と様々に分かれました。
 それぞれの訴訟の中身については別の機会に論ずるとして、今回は、相反する判決が出されるたびに、国政に混乱を招くとか、専門家でない裁判官が難しい行政上の問題を取り扱うべきではないといった批判について考えてみます。
 そもそも、我が国の司法とは、個別事件の救済の場であり、一般的な法解釈を示す場ではありません(事件性の原則)。ですから、個別事件の妥当な解決のために、各裁判所の法令解釈が異なったとしても止むを得ないのです。
また、個々の裁判官は、その良心に従い独立して職権を行い、憲法及び法律に従って事件を処理しています(裁判官独立の原則)。上司の指示に基づいて画一的な判断を下している訳ではありません。従って、判断する裁判官毎に法令解釈が違うことは、制度的に予定されているのです。
 もっとも、裁判官は行政問題の専門家ではありません。しかし、専門家ならば証人として裁判に関与させることも可能です。行政についても「法の支配」の原則を貫徹させるためには、広く裁判所のチエックを受けさせることが必要と考えます。
これらの原則は、いずれも、国民の権利や自由を守るために我が国で採用されている制度です。様々な価値判断が交錯する難しい行政上の問題について、相反する司法判断が示されているのは、上記の諸原則が生きている証であり、我が国司法の健全性を示すものといえます。以上

(2015.06)

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