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「憲法の役割について(その2)」 VOL313

 9月に入って雨ばかりですが、無事に刈り取られた新米が、今年も食卓に上るようになりました。
 昨年の9月には、安保関連法案が成立し、国会議事堂周辺では、多くの人々が反対のデモを繰り広げました。デモ隊の「憲法を守れ!立憲主義を守れ!」というシュプレヒコールが今も耳に残っています。
 あれから1年が経過し、デモに代わって「憲法」や「立憲主義」に関する多くの著作が世に出ています。行動から思索へのパラダイム・シフトといえそうですので、今回は「憲法」と「立憲主義」についてご説明したいと思います。
 そもそも、立憲主義とは、憲法によって権力を縛り、権力の濫用から人権を守るという考え方です。権力保持者は常に権力を濫用する危険性があるので、憲法を制定して権力の濫用を抑制し、権力名宛人である国民の人権を守るという立てつけです。
 我が国の憲法は、当時としては最新の人権規定を設けると共に、国家権力(統治機構)を、立法(国会)、行政(内閣)、司法(裁判所)に分立し(三権分立)、相互に牽制させることにより、人権保障の制度的担保としました。
 もっとも、現代の国民主権の下では、権力保持者と権力名宛人はいずれも国民なので、両者を対峙させて理解すべきではなく、相互の信頼や共同関係こそ重要であるという見解もあるようです。
 しかし、国会であれ、政府であれ、そこを抑えているのが特定の人間又は人間の集団である以上、彼らが権力を濫用して他者の人権を侵害する危険性は常にあると言わねばなりません。
では、安保法制のどこが憲法や立憲主義から問題とされるのでしょうか。
この点、安保法制が成立したからといって、直ちに誰かの人権が侵害される訳ではありません。むしろ、こ こ数年、我が国の周辺では近隣諸国との緊張が高まっています。速やかに安保法制を成立させた方が、我が国の安全を確保でき、結果的に国民全体の人権保障に資するのではないか、といった辺りが現在の中庸的な多数意見かと思われます。
 しかし、安保法制が憲法や立憲主義に抵触するという意見は、もう少し長いスパンで問題を捉えていると思います。
 すなわち、政府は、安保法制を導入するにあたって、従前の憲法9条の解釈を大幅に変更して、集団的自衛権を肯定しました。ところが、現在、多くの憲法学者から、政府の新解釈には無理があると指摘されています。つまり、安保法制の導入は、憲法を改正した後に行われるべきであったということになります。
 また、安保法制の導入が先例になると、権力保持者はいつでも同じ方法で憲法の矩(のり)を超えることが可能となり、立憲主義の否定に繋がるという懸念があります。
 さらに、内閣法制局長官の不自然な交代後、政府の従前の憲法解釈が唐突に変更された経緯も問題です。 内閣法制局とは政府の法律解釈を確立する重要な組織のはずです。ところが、国会で「今はなき内閣法制局」と揶揄されるほどに、今回の憲法解釈の変更によって、同局の権威が失墜してしまったのでした。以上

(2016.10)

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